●「思い出」芸術
フランスのアーティスト、ソフィ・カルはかつての辛い失恋の思い出を写真とテクストにより作品に仕立てあげました。作品の最初は次のテクストから始まります。
「1984年、私は日本に三ヶ月間滞在できる奨学金を得た。10月25日に出発した時は、この日が九十二日間のカウントダウンの始まりになるとは思いもよらなかった。その果てに待っていたのはありふれた別れなのだが、とはいえ、私にとってそれは人生で最大の苦しみだった。」
この悲劇までの92日間がパリからベルギー、そして東西ドイツ、ポーランド経由でモスクワへ行き、それからシベリア鉄道でソ連、次に満州横断鉄道でモンゴルを踏破して北京まで行き、中国横断にはローカル列車を使って、上海や北京に寄り、香港から東京行きの飛行機に乗ってようやく日本にたどり着き滞在する間に撮った人や景色の写真、手紙、書籍などがテクストとともに語られる。92枚のイメージには「人生最大の苦しみ」までのカウントダウンとして「92 DAYS TO UNHAPPYNESS」から「1 DAY TO UNHAPPYNESS」までスタンプが押されている。
スーザン・ソンタグは『写真論』の中で「写真は証拠になる」と言いいましたが、まさにソフィは写真を証拠として提示しながら彼女自身の人生の断片の記録としての「思い出」を芸術として再構成して見せてくれたのです。最後の彼女のテクストは次のようです。
「九十日前、愛していた男に捨てられた。1985年1月25日の午前2時だった。私はニューデリーのインペリアル・ホテル、261号室にいて、彼はパリにいた。彼は電話で別れを告げた。他の女のことが好きだと告げるのに、文章は4つ、言い終えるのに3分とかからなかった。惨めなありふれた物語である。くどくどと繰り返すには値しない物語。」
この作品では、ソフィの辛い失恋の記憶が、見る我々の記憶を呼び覚まし、二つがシンクロして未来へ向かう時代の記憶として立ち現れてきます。(限局性激痛②へつづく。)