ソフィ・カルというアーティストがいます。彼女は1953年にパリで生まれ育ちました。彼女は1979年に写真とテクストで構成した作品でアーティストとしてデビューし、その後も写真とテクストで構成した作品を多く発表していきます。
その中に『盲目の人々』という作品があります。
「私は生まれつきの盲目の人々に会いました。彼らは決して見たことがありません。私は彼らに美のイメージとは何かを尋ねました。」
ソフィはこの残酷で不条理とも思える質問を生まれつき目の見えない人々にぶつけ、1年間にわたり対話を試み、作品にしました。インスタレーションの始まりと終わりだけが指定されていて始まりは最初に対話した男性が語った美しく詩的な次のテクストです。
「私が見た美しいもの、それは海です。視野の果てまで広がる海です。」(写真)
そして最後は美のイメージを拒絶してしまった男性のテクストで終わりを迎えます。
「美しいもの、私はそれを断念しました。私は美を必要としないし、頭の中でイメージを必要ともしません。自分が美を鑑賞できないので、私はいつもそれを避けてきました。」
美のイメージは何かと聞かれて、盲人たちが返した答えはとても目が見えないとは思えないような視覚的なものでした。ある人には水槽の金魚であり、ある女性は、ブロンドの髪の青い目をした男の人が美しいと思います。またある少年にとっては、羊と母とアラン・ドロンなのです。
この作品では、我々が「見ている」と思いながら実は「何も見ていない」ことを浮かび上がらせ、そして「美とは何か」という未だ答えのない問いに対して重要な示唆を与えているのです。
「美」とは客観的に対象そのものの中にあるのではなく、見る人の中にそれを美として認めるなり、美を感ずるなりというものがあるのでもない。
ある男性のテクストは、「夢の中で、私は自分の子供を見ました。彼は10歳で、パジャマを着ていました。私を見つめ、ほほ笑みかけていました。私の方へ歩いてきました。私は息子がとても美しいと思いました。」
決して見ることのない自分の愛おしい息子を夢の中で見ている。彼の息子に対する愛情が夢の中で息子を見ることを可能にしているのです。そして、何より息子を美しいと思う。この父親の息子に対する愛情が何よりも美しいのです。
美とはこうした人と人との関係性(距離)を通して我々一人一人の心の中に形成されるものではないでしょうか。